先日、久々に作:演出なんてやりました。
そういえば、自分が一番最初に作:演出やったのはあの作品だったなあと、思い出して探してみたら… ありました。その時のパンフ。
当時の関係者でこんなの持ってるの俺だけだろうなあ、20年前だもの。
タイトルが最後まで決まらなくて、結局中島みゆきさんの歌のタイトルから拝借しました。未だにタイトル考えるのは難しいです。これは台本を書く才能ではなくキャッチコピーとかを考える才能が必要なんですね。いかに人目を引くキャッチーなタイトルを考えるか、これはもう違う才能です。
僕は、だいたいタイトルを決める時は2パターンあります。
一つは、英語だけ。
「レッドライン」「Revolver」「Champ」「Scoop!」「The Joker」などなど。
もう一つは、「・・・の・・・」というように間に「の」を入れるタイプ。これは森村誠一さんの小説の影響、あとはジブリ作品ですね。
「来々軒の夜はふけて」「海と風の神話」「深海のカーニバル」「4つ目の嘘」などなど。
まあどうでもいいんですけど。
つまり、長いことやってるとパターンが出来ちゃうということ。
この初作品の中身は書きませんけど(恥ずかしいので)、近未来物でした。僕がかたくなに近未来物を描かないのはこの作品の影響があるからだと思います。当時はこの手の作品が多くて、北村想さんの「寿歌」「ザ・シェルター」や第三舞台の「天使は瞳を閉じて」など、特に核戦争物を扱ったものが多くありました。
そういうのは僕にも書けそうだと思った上に、そういうのをやればウケると勘違いしたに違いありません。
中身が一部バレてしまいました。そう核戦争後の世界を描いてしまったわけです。今もしあの時の自分に会えるなら、体を張って止めます。先の天才劇作家たちが描いた世界にお前などが乗り込むな、地雷しかないぞと。
目の見えない少女とそれを助ける男性という登場人物がいて、その構図は後の「海と風の神話」という作品に踏襲されています。
結局何年たっても同じ頭で考えているので、つながりは出てきますね。影響や思考方法はあまり変わりません。
ものを作っている人間にとって、自分の作品に似てしまうのはこれは仕方ない。ただ、過去の自分の模倣をやってしまったら終わりだと思います。自分の作品から影響を受けつつ、それから遠ざかること、違うアプローチを常に考え続けること、それが大事だと思っています。
このパンフには、作者、つまり僕の言葉が書かれています。
『東京に生まれた僕は東京が大嫌いでした。自然からかけ離れたこの都市では深呼吸一つ出来る空間すら無いように思えたのです。(中略)この物語は、僕の精一杯の都市論、故郷論です』
死ね、アホか、青すぎる… そしてすでに地雷を踏んでいる。
やっぱり過去の自分から遠ざかることは正解だと思います。
でもこの作品を一生懸命やってくれた役者やスタッフには今でも感謝しています。これがなければ今の僕はないわけですから。
これが僕の原点かと思うと、恥ずかしくもあり、嬉しくもあり。
ちなみに、パンフがあっても台本はありませんでした… 作者としてそれはどうなんだろう…?
あなたの原点はなんですか?
【日記の最新記事】


